ソウルリポート No.23
 

 

March 9, 2003

よろぶん、あんにょんはせよ?
(みなさん、こんにちは!)

南野雅子@韓国、ソウル・新村(シンチョン)・・・
ではなく、@日本・大阪府河内長野市・・・

・・・というわけで、あっという間の1年間の滞在を終え、本日、無事日本に帰ってきました。ま、何と言ってもソウルから大阪まで飛行機で1時間15分という近さですからね。

私の韓国滞在最後の1ヶ月間は、それはそれは目の回るような忙しさで・・・。というのも韓国を離れる前に、あの人にもこの人にも会っておきたい、あれもしたいこれもしたいと、可能な限りの時間にぎっしりとスケジュールを組みまくったため。

その結果、帰国3日前にしてとうとうダウン。病院で点滴を打ってもらうという何ともマヌケな事態になってしまいました。

日本も同じだったようですが、韓国も3月に入ってから、寒の戻り(「花冷え」というのでしょうか?)があり、2、3日前には、降り続いていた
雨が時折みぞれや雪に変わるほどでした。

3月といえば、韓国は新学期が始まる季節。私の下宿でも新しい顔ぶれが増え、もうすぐ出て行くという私の部屋にも下宿探しをしてい学生やいらなくなった家財道具(というほどの物はないですが)を見たいという韓国に来たばかりの日本人留学生が訪れたりしました。

そんな中、韓国生活最後の望みを叶えたいと旅行計画を立て始めた私。

・・・というのもある日の明け方の出来事・・・

夢の中にいたはずの私は急にはっと目が覚め、それと同時に、「何が何でも全羅道(チョルラド)に行きたい」と思い立ってしまったのです。「全羅道」は私が韓国全土で唯一足を踏み入れたことのなかった地方・・・。「済州島(チェジュド)にも行ったことだし残るは全羅道だけか。」とこの1年間、ついに一度も行けなかったことをとても心残りに思っていたせいか、夢の中でさえもそんな思いに取りつかれていたのでしょう・・・。目が覚めると同時にもう興奮状態に入っていた私はそのまま夜明けまでガイドブックを手に、どこに行こうか、誰を誘おうかと考えると眠れなくなってしまったのでした。まるで道祖神の招きにあった松尾芭蕉の心境とでも申しましょうか(私如きが引き合いに出しては叱られそうですが・・・)。

私一人なら今は学校もないし、バイトもない身だからいつだって気軽に旅立てるわけですが、こう見えても寂しがりやなので一人旅はちょっと苦手。・・・というわけで、平日は学校や仕事で忙しい友人たちと連れ立って行くにはもう3月1日(土)と2日(日)の連休しかありません。
 ※注:韓国では3月1日は“3・1節”(3・1独立運動のあった日)で祝日。思い立ったらもう居ても立ってもいられなくなる私は、その早速友人に連絡を取りました。大田(テジョン)にも一緒に行った日本人の友人Yさんは2つ返事でOK。彼女もその前の週、慶州(キョンジュ)に行ってきたばかりでお疲れのはずなのに・・・。

そう言えば、私が韓国に来たばかりの頃1ヶ月間同居した韓国人の友人Kは全羅南道(チョルラナムド)・光州(クァンジュ)の出身。いつか全羅道を案内してあげると言っていた彼女はどうだろうと声をかけたところ、その日は親戚の結婚式があるので一緒には行けないとのこと。
その代わりに全羅道の見所をいくつかピックアップし、細かく行き方などを書いてメールで送ってくれました。

結局、私の教えている日本語サークルの生徒さん2人(韓国人のJさんとMさん)が一緒に行きたいと言ってくれ、総勢4人のメンバーで念願の「全羅道への旅」へと出発することとなりました。

思いつきから実行までほとんど時間がない中、一生懸命コースを考えてくれたのはJさん。彼のおかげで私の友人Kが教えてくれた見所もおさえつつ、見事な旅行プランが完成、強行軍ではありましたが私の最後の思いは遂げられたのでした。たまたまJさんのいとこが全羅南道(チョルラナムド)・順天(スンチョン)にいるということで、そこを拠点に楽安邑城(ナガンウプソン)民俗村、宝城(ポソン)緑茶畑、そして最後に海岸沿いの麗水(ヨス)を回りました。

今回の行き先は全羅道でしたが、一緒に行ったJさんが釜山(プサン)、つまり慶尚道(キョンサンド)の出身ということで、旅の途中、彼からに慶尚道(キョンサンド)の方言をたくさん教わりました。おかげで旅行から帰った後、いろいろな送別会の席などで方言を使って笑いを取ることができました。Jさん、ありがとう!

最後の最後に病院に駆け込んだのはさておき、なんだか楽しいことばかりだったような韓国での1年間。もちろん悲しいこと、苦しいこと、ムカッ腹の立つことも数々ありました。・・・・・
地下鉄の中や大きな本屋さんなど込み合う場所で、人とすれ違うたび肩や腕にボカボカぶつかってくる人がいる。なんで、半歩譲れないんだろうと思いながら身を縮めてみてもそれでもぶつかってくるのだから、しまいにはわざとぶつかってるんじゃないのかと思うほどだ。地下鉄で席を譲れ、道を開けろと異様に横柄な態度を取る老人にもムカついた。客の扱いがなってない、と思うことも1度や2度じゃない。本屋で客(私)が探している棚でもお構いなしに入れ替えしたり、もたれかかって同僚とのおしゃべりに夢中になる店員。クリーニング屋で、別の客と勘違いされ先払いしたにもかかわらずまた「代金を払え」と怒鳴られたこともあった。銭湯でも洗面台で歯を磨いていたら、「どこで歯磨いてるねん、中で磨け」と銭湯のアジュンマ(おばさん)に叱られたこともあった。・・・・・

日本ではあり得ない状況に遭遇するたび、一瞬涙が出そうになるのですが、なぜか尾を引かないのが不思議でした。たとえば、クリーニング屋さんでの出来事にしたって、あきらかにアジュンマの間違いでしかも私は頭ごなしに怒鳴られたわけで、日本だと下手すると「何なんだその接客態度は、店長を呼べ・・・」ということにもなりかねないでしょう。しかし、自分の間違いに気付くとあまりにもあっさり、「あ、ごめん他の客と勘違いしちゃって、アハハ・・・」と笑い飛ばしているアジュンマを見ると、何だかおかしくなって怒る気にもならないのでした。また、込み合った場所でボカボカ人にぶつかってくる人にしたって、何も私にだけぶつかってるわけではなく・・・もしも同じ状況が日本で起きたとしたら、あっちでもこっちでも「すみません、すみません」と頭を下げまくらなきゃならないだろうけど、韓国じゃ謝る人もいない代わりに誰一人としてぶつかられたと言っていちいち怒ってる人もいないのです。とにかく人に迷惑をかけないことを美徳としている日本、悪く言えば当たらず触らずの社会で生まれ育ち、そんな環境に自分でも知らない間に慣れ親しんできた私にとって、接触の多い韓国社会の日常は“やっぱり異文化なのだなあ”と思わされる瞬間に満ちあふれていたといってもいいでしょう。

そんなふうに時には涙目になりながら、しかし、それにもめげず、いやそんなことをすっかり忘れさせてくれたのもまた韓国の接触文化ではなかったかなあ、と今になっては思います。たとえば私が帰国すると決まってからでさえ、一体何人の人が送別会をしてくれたり、食事に誘ってくれたり、一目でいいからと会いに来てくれたりしたことでしょう。最後の最後に古くからの友人やこの1年で知り合った数多くの知り合いに再会し、語り合う中で、韓国に対してまた一つまた一つと新しい発見があるたび、とても1年ではすべてを見ることも知ることもできないなあと痛感させられました。


取りあえず、1年の期限付きのビザが切れてしまうということで帰国することとなりましたが、またいつか韓国に戻って、この1年で知り得なかったもっともっと多くのことに出会える日が来たら、と思っています。

そんなわけで、このレポートも今回、23号をもって一応の幕を閉じますが、今回は“第1部修了”ということで、またいつか近い将来、“第2部”として復活できることを願っています。

今まで読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。

「ソウルレポート」などとえらそうなネーミングをしておきながら、その実「雅子の韓国滞在記」とでも言った方がよさそうなあまりにも個人的な記録になってしまったことをお詫びいたします。また、私の韓国滞在中、ご感想や励ましのメールを送ってくださったみなさま、毎回このレポートをHPに載せたり、英文に訳すという作業をしてくださった方々、陰となり日向となって助けてくださったすべてのみなさまに併せて感謝申し上げます。

最後に、今回のレポートがインターネット上での公開という性質上、触れられなかった○秘な話、筆者が遅筆のため旬を逃してしまい、取り上げ損ねた季節ネタなどなど、レポートに収めきれなかったエピソードも数々ありました。またそのあたりは、「裏ソウルレポート」ということで、オフ会の席ででもご披露できればと思っております。

それでは、またみなさんにお会いできる日を楽しみにしております。
お元気で・・・


あんにょーん!(バイバイ)

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